異次元の共生社会政策


社会

政治

これは、去る参院選(書き始めた時は選挙戦序盤だったような)で明らかになった日本における排外主義の圧倒的高まりを受けて書いた2つの文章である。

① 政治的敵とは他者であり、他人にとどまる

以下は、「シュミットとシビル・ウォー、時々玉木」を抜粋したものである。

映画「シビル・ウォー」は色々な意味で衝撃的ではあったが…Twitterで見かけた「あの映画は結局内戦の原因を描写しなかった訳だが、…それは賢い選択である…」という感想については、…アメリカ国内の想像以上の分断の深さについて大いに考えさせられた。

幸いなことに、日本では国会議事堂の占拠と言ったような頭を覆いたくなるような事件が起きるような状況には未だ至っていないように思える。しかし、事実を眺めてみれば、歴代最長の政権を率いたリーダーは選挙期間中に殺されているし、この程自民党本部にガソリンを積んだ車が突っ込んでいる。そういう現実を知れば知るほど、冷静でいること、中立でいることの難しさを感じずにはいられない。

そして、この困難な状況について言及しているのが先述したカール・シュミット著「政治的なものの概念」である。本著でシュミットは政治とは、道徳が物事を善と悪に区別し、美的感覚が対象をそれと醜たる感覚に分類するように、人々を敵と味方に区別するものであると述べている。(1)要するに、分断はイレギュラーや間違った結果というわけではない、むしろ、分断こそが政治の本質であるというわけである。

そしてより衝撃的なことに、「政治的敵とは他者であり、他人にとどまる」(1)つまり、他人であること、それだけが敵たる条件であると述べている。

この文章は、去る2024年10月27日に投開票の行われた衆議院議員選挙と、当時話題だった、米国の分断の末の内戦を描いた映画「シビル・ウォー」、更にはカール・シュミットの名著「政治的なものの概念」を織り交ぜながら政治的分断を憂いた文章である。今改めてこの文章を読み返すと、当時(半年前)とはまた別物の危機感を覚える。それは正しく、参政党が炙り出した、日本に蔓延する「外国人」への憎悪による。私は現在24歳、北海道の地方都市出身である。北海道の高校時代、周囲は私も含めて安倍自民党への支持が強かった。それは、彼の政権が就職率の復古を実現したこともあるし、何かと気に食わない近隣諸国へ厳しい態度を崩さなかったからである。よって、友人たちの中にはネットに転がっているテンプレの中傷を安易にコピーして威勢よく「朝日新聞」「中国・韓国」らをこき下ろす光景がままよく見られた。ひろゆき論破が一世を風靡する数年前のことである。

それから数年が経ち、当時の友人たちは私も含めて社会人となり、東京に居を移した者も多いわけであるが、残念なことに多くの場合において本質的な変化は見られず、彼らのテンプレ中傷の矛先は海外から国内の「クルド人」「北海道への侵略者」へと移ったに過ぎなかった。

インバウンド、不動産投資、治安、留学生、保険制度…ありとあらゆる局面で「外国人」への憎悪が高まっている。何も、これは参政党が無から生み出したものではない。少しずつ、しかし確実に人々の中に起こっていた憎悪の感情を紛失するキッカケを与えたに過ぎない。

だからこそ私は強い危機感を感じている。もう一度言おう。「政治的敵とは他者であり、他人にとどまる」(1)つまり、敵たる条件はただ一つ、「他人」であること、それだけなのである。

肌の色が違う、体格も大きい、声もでかいかもしれない。怖いかもしれない。だが、様々な事情を抱え、不安に怯えながらも「未来」を希望して日本にやってきた彼等を俺たちは「他人」に追いやってしまって良いのか、立ち止まって考えて欲しい。

②誓い

参院選が終わった直後に言うのもなんだが、私が今後15年の日本を見定める中で特に重要だと思う5つの政策は次のとおりだ

1 移民(技能実習制度含む)

2 財政・金融(財政破綻、消費税、nisa)

3 エネルギー(主に原発、電力危機) 

4 年金

5 産業(自動車、半導体、AI)

その他

医療(医療保険、マイナ保険証、診療報酬)

交通(運輸、タクシー、リニア、自動運転)

地方創生(コンパクトシティ、一極集中)

食糧(米高騰、自給率)

労働(働き方改革、賃金上昇、男女格差)

外交(米中、日韓、核)

不動産(東京高騰)

教育

財政やエネルギーを差し置いて「移民政策」を1位に置いているのは、直近にベトナム人技能実習生が強盗殺人を犯したことに引っ張られたわけではない。私は、今まさに日本が今後どのような道を歩むのか(諸外国のような分断と格差にまみれ排外主義が横行する世界へと歩むのか)、その分かれ道であると考えている。この問題は、財政やエネルギーに関わる貧困化や少子高齢化などのタームとは全く異なる、「日本」的な文化、同質性、治安の良さ、緩さ、これらを維持できるか否かという問題である。だから私はこの政策を1位に位置付けた。日本が経済的豊かさに加えてもう一つの「文化的豊かさ」を失うのか、それとも維持できるのか、それに関わる問題であると考えているからである。一部のリベラル言論人は先の参院選でこの「移民政策」が争点化したこと自体を嘆いている。しかし、私はそうは思わない。もちろん、根拠のない排外主義など論外極まりないが、一方で今我々が「移民政策」について考え、行動することには大きな意味があり、そしてそうすべきと考えている。無論、これに関して私の意見はもう随分前から決まりきっている。日本がある程度の「経済的豊かさ」を維持するためには、移民の受け入れは必須であるのだから、だからこそ、「文化的豊かさ」を諦めようなどと言うのではなく、高いコストと時間をかけて、前例のない「共生社会」の実現へ努力せねばならない。さしあたり、特に第2世代の教育は重要であると考えている。また、当然のことながらここで机上の空論に徹するほど馬鹿馬鹿しいことはない。努力しなければならないのは政府ではなく私自身なのだ。先ほど読了した「テーマパーク化する地球」(2)において、東浩紀は「理論に経験が先立つ」と述べていた。つまり、実践あるのみ。未来に笑って過ごせるために私は行動する。

(1) カール・シュミット(2022)(訳:権左武志)「政治的なものの概念」岩波書店p120

(2)東浩紀(2019)「テーマパーク化する地球」ゲンロン

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