ニーチェ「力への意志」について


ニーチェ

自己

ヘーゲル

木田によれば、「力への意志」とは自ずから生成する生きた自然のその「生」の構造を言い当てようとする概念(1)だという。

生きた自然のその「生の構造」、ニーチェはこれをどのように考えていたのか。木田はニーチェは、「生の構造」について、ショーペンハウアー流の「全く無方向の生命衝動」ではなく、「常に現にあるよりもより強くより大きくなろうとする意欲」と捉えたと述べている(2)。

より強く、より大きく、それはある意味では他者への侵害、搾取、抑圧をも意味している(3)。この人間の本質にあるマッチョ思考について、ヘーゲルは人間の根本には、「他の否定」を通して自己の絶対的な「個別性」を確保しようとする欲望があると述べている(4)。

これを持って、ヘーゲルの自己論の原因としての承認欲求的欲望とニーチェの生の構造としての力への意志を接続することができる。

なお、ここまで聞くと、ニーチェは物事に構造や原因を見出すタイプの哲学者であると勘違いをしてしまう可能性がある。

しかし、ニーチェはこの「生の構造」以外のありとあらゆる構造について破壊したことで有名である。それは、真理であり認識であり自己である。誤解なきよう。

(1)木田元(2000)「最終講義」作品社p59

(2) 木田元(2000)「最終講義」作品社 p100

(3) ニーチェ(1970)「善悪の彼岸」(訳:木場深定)岩波書店p306

(4) 竹田青嗣(2010)「超解読!はじめてのヘーゲル「精神現象学」」講談社p59

ちなみに、このほど読んだ木田元の「最終講義」がこのこと(ニーチェ「力への意志」の意味)を再認識させてくれたのだが、本書は前半の最終講義こそ、ハイデガーの真意(プラトン以降の西洋哲学史への挑戦「ヒューマニズムの是正」)について解き明かす新鮮な内容であったが、後半に収録されていた「哲学と文学」は、真理の否定という点でのニーチェ-フッサール-デューイ等の接続という、私の読みと完全に一致する内容で、尚且つこれを「エルンスト・マッハ」はじめとする膨大な哲学者や文学者を絡める壮大なもので、読んでいて興奮とエクスタシーを感じさせる素晴らしい哲学(批評)だった。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です