・ニーチェ
シェイクスピア、彼の「ヴェニスの商人」は500年以上前に書かれたにも関わらず、その名声に恥じぬ批評としても、エンタメとしても面白い作品である。
彼の1番の魅力はなんと言っても随所に見られる恍惚な言葉回しであろう。
「だが、夜が明けても、さぞもっと暗ければと思うことだろうな、なにしろ博士の書記と寝られるんですからね。ところで、これからの一生、ほかにそう心配はなさそうだが、さて、このネリッサの指輪、無事に守れるか、それだけがただ心配さ。」(1)
ここには、上品さをもって表現できる最上級のエロさと、手に汗握る大法廷劇を包含した皮肉回しを見てとることができる。
この法廷劇は、主人公サイドの大勝利にも関わらず、全くもって後味の悪いものになっている。その理由は、悪役「シャイロック(ユダヤ人)」への差別的扱いとそれに対する彼の悲痛な叫びにある。
しかし、これの重要な点は、この我々の見方(シャイロックを完全な悪役としては見られない)がホロコーストを経た未来からの新視点というわけではなく、16世紀西洋社会において、シェイクスピアがこの視点から物語を描いた点にあろう。そして、これを読んだ当時のキリスト人が少なからず自身の観念を揺り動かされたであろうからして、本作が不動の地位を手にしているのにも納得ができるというものである。
また、本作は、我々がついつい「ユダヤ人」問題に対して抱く誤解、つまりこの問題がホロコーストに端を発しており、それが現代のイスラエルと周辺諸国との複雑な問題に及んでいる(或いはアメリカの謎のバカな陰謀論)という認識を解いてくれる。
何故なら、ユダヤ人と西洋社会に関わる問題は、ヴェニスの商人が描かれた16世紀は愚か、彼らの口ぶりから分かる様にキリスト教の成り立ちにその源を置いているのである。
なお、その後のユダヤ人に係る描写は、19世紀後半のニーチェ「善悪の彼岸」においても確認することができる。これはホロコーストを50年後に控えた、いささか緊張感のあるタイミングというのもあって、もはや西洋社会におけるユダヤ人への憎悪や陰謀論が、沸騰する鍋の蓋を底に留めないエネルギーの様に噴出間近、抑えられない領域にまで達していることを窺わせる。
「私はユダヤ人に対して好意的な考えを抱いていたようなドイツ人にいまだに会ったことがない。そして、本来のユダヤ人排斥はすべての用心深い人々や政治家たちの側から無条件に拒否されてはいるが、これらの用心や政策にしてもやはりそうした種類の感情そのものに反対しているのではなく、むしろ単にそうした感情の危険な行き過ぎを、特にこの行き過ぎた感情の悪趣味な破廉恥な表出に反対しているにすぎない。この点について思い違いをしないようにしてもらいたい。ドイツには申し分なく多数のユダヤ人がいるということ、ドイツの胃、ドイツの血はこれだけの(量)のユダヤ人を始末するだけでも困難を感じる(そして、これからもなお長く困難を感じるだろう)ということーイタリア人、フランス人、イギリス人がより強い消化力によって遣り遂げたようにゆかないということ、」(2)
この一節は示唆に富んでいる。政治家は被差別者を心配しているのではなく(或いは心から心配しているが)、真に恐れているのは大衆の暴走、秩序の崩壊である。人間が集団になった時に、その単純な数の総和以上の力を発揮することについては、トクヴィルもそれ故に大国には文化や技術が花開き、都市には独特のエネルギーが満ちるという様なことを述べている(3)。
しかしながら、このエネルギーがいつも良い方向に向かう訳がないからして、政治家達はこれを恐れている。また、この深刻化するユダヤ人問題が、イタリア、フランス、イギリスよりもドイツにおいて顕著であるという事実は、後にドイツを舞台にして大衆の暴走、秩序の崩壊が現実化「ホロコースト」したという意味で極めて示唆的である。
また、この様に西洋の名著からは度々「ユダヤ人」に係る内容を確認することができることによって、如何にユダヤ人が西洋社会において影響力を持って複雑な歴史を歩んで来たかということを改めて認識することができる。
また、本作はユダヤ人の持つ別の特性、どうやらこれも西洋社会におけるユダヤ人への迫害を増す要因の一つになった様だが、「金融」に強いというのが、歴史的必然性を持って生まれたものであるということを教えてくれる。
シャイロック
「さて、どうだか。が、とにかく俺は金銀にも子を産ませる、だが、旦那、いいですかね。」
アントーニオ
「聞いたか、バッサーニオ?悪魔でも聖書を引くことができる、身勝手な目的にな。根性の曲った人間が、聖句を引合いに身をまもるとは、まるであの悪党の見せる作り笑も同然だ、見かけはよいが、心の腐った林檎も同然。ああ、まがい物に限って、立派な外面ときやがる。」(4)
上記において、ユダヤ人高利貸しのシャイロックは聖書における、「ヤコブの報酬」という説話、ヤコブが生まれた羊の子を自らの取り分とする契約を結び、たくさんの子羊を得た話を引き合いにして、金利を正当化している。これに対して、金利を否定するアントーニオは激しく彼を罵っているのであるが、ここにおいて重要なことは「金利」がキリスト教において御法度とされ、よってこの社会においてなくてはならない「金貸」の職業を被差別立場にあったユダヤ人が担ったという歴史である。

この歴史を理解すれば、我々はシャイロックの「金利」をよりにもよってキリスト教の拠り所とする所の聖書を引き合いにして正当化してみせるという高度な皮肉、炸裂するシェイクスピア節を前にして舌を巻かずにはいられないのである。
また、ユダヤ人が金融に強いという特性の真実が歴史の必然であったこと、もっと言えば、キリスト教の都合によったものであった事が明らかになった。
だとすれば、ホロコースト前夜の西洋社会、或いは先ほど書いた(或いはアメリカの謎のバカな陰謀論)を意気揚々と披露する人々の多くが、その批判の内容の遠因が自身の祖先にあることを忘れてしまった愚か者であるということもまた、明らかになるのである。
だから歴史は重要なのである。そして、我々日本人とて、高みで笑っていい話ではない。
台湾問題について、日本は台湾という地域の独立を援護する正義の味方であり、横暴で野心を隠さない中国という悪に立ち向かっているのだなどという観念を抱いている者がもしいるとすれば、それは余りにも無知がすぎる。
そういう無知な貴殿は、満州事変、日中戦争、太平洋戦争という歴史における日本の行動が、現在頭に浮かぶ周辺諸国の多くの問題に連続していることを学ぶべきである。
そして最後に!!ポーシアが箱を選ぶバッサーニオに対して溢れ出る自身の想いを伝える場面に対して、何故か強烈なデジャヴを抱いたのだが、それがここにおけるポーシアの「言い間違い」についてフロイトが精神分析入門で例として触れられていたことによるものであったことを思い出した。歴史(名文学)を学ぶべき理由はここにもある。それらは、知名度がありポピュラーであるが故に、しばしば哲学や批評の標的となるのである。
読まれよ!学ばれよ歴史を
(1)シェイクスピア(1973)「ヴェニスの商人」(訳:中野好夫)岩波書店p176
(2) ニーチェ(1970)「善悪の彼岸」(訳:木場深定)岩波書店p285
(3) トクヴィル(2005)「アメリカのデモクラシー第一巻(上)」(訳:松本礼二)岩波書店p257
(4) シェイクスピア(1973)「ヴェニスの商人」(訳:中野好夫)岩波書店p34