・子供
・無意識
フロイトは、精神分析における「象徴関係」、夢の要素中の固定された翻訳が明らかになっている一群(1)の中で、圧倒的に「性的表現」が象徴の多数を占めていることを明らかにする。「男性器」棒、傘、ステッキ、サーベル、小銃、じょうろ、ネクタイ、鉛筆、「勃起」気球、飛行機、飛行体験そのもの、「女性器」ポケット、溝、瓶、トランク、戸棚、貝類、聖堂、「乳房」くだもの一般、岩、森、「性的快楽」ピアノの演奏、階段を登る。フロイトは、これらの背景には、最初の言語発達が性愛の相手を呼び寄せるものであり、つまり、あらゆる言語はかつて性的表現を意味していたが、やがてそれが労働においても共有されるようになり、いつしか完全に労働に移り代わり性的意味は忘却されたのだという事情があるという主張を引用している(2)。要するに、我々のあらゆる行為、言語、物のルーツには「性的表現」がある。
「象徴関係」、言うなればそれは「例える」ことである。「例える」言語活動は日常会話の中でしばしば行われる。例えば、何らか難しい事象を平易に説明する際や、滑稽な事象を想起させて笑いを誘うなど。
後者について、これをプロ化し、テレビ番組におけるトークの中で、或いは「大喜利」という試合仕立ての中で披露し視聴者に笑いを提供しているのがお笑い芸人である。
彼等の存在をもって、つまり、一般的言語活動である「例える」が巧みな技術として称賛されている事実をもって、如何に「例える」行為により笑いを生み出すことが困難であるかについて証明されていると言って良いだろう。
しかしながら、ここには一つの例外がある。それは「下ネタ(性的表現)」による例えである。日常会話における「下ネタ(性的表現)」による例え、比喩の簡易性・頻出性はあらゆる他の分野に比して突出していると言える。その社会的制限により、場面こそ限られるものの、若年の同性間会話或いは飲み会などにおいて、下ネタの絡んだ例えに限定されて、それは目を見張るスピードと唸らせるクオリティをもって披露され、更には芸術的とも言える畳みかけ、天丼、展開がなされることがまま見られるのである。半ば当たり前になってしまっているこの奇妙な現象について、今一度「例える」ことの困難さを認識すればするほどそれは特異に映る。
また、当然のことながら、この奇妙な現象の発生源には、共通の下ネタワード(象徴関係)、例えば「大きい」「行った(イッた)」等がある。この奇妙な現象をもって、象徴関係(例える)における性的表現(下ネタ)の多数性はより、信ぴょう性を増す。
順序が逆になったが、「象徴関係」は夢の一部、例外に過ぎない。要するに、当然のことながら大部分の夢の内容は、個人に帰するのであって固定されたものではない。そもそも、夢とは、眠ろうとする意向と、眠りたくない意向(願望)の衝突であり、これの処理された結果(充足)(3)であると同時に、夢は顕在夢であり、つまり、社会的・倫理的に許されないと本人が考えている恥ずべき願望、潜在夢を歪曲・検閲した結果である(4)。
つまり、精神分析とは、この歪曲された夢から、個人的な願望を見つけ出す作業、加工されたものを加工前の原材物質へと戻す作業である。
歪曲の一手段として圧縮がある。つまり、複数の人物や物事を一つにまとめてしまうというものである。圧縮のアクティブな点は、共通点のある物事に加えて、むしろ正反対にある物事をその理由をもって一つにまとめてしまうことがあるという所にある(5)。また、興味深いのはエジプト語には相反する二つの意味を併せ持つ言葉が見られ、対話する際は身振りや言葉の調子を変えて表現し、相手はそれらを解釈していたという事実である(5)。いや、言語表現の曖昧さについては、日本語を扱う我々は常日頃からよく理解している。我々は日常対話において知らず知らずのうちに高度な文脈で意味を解釈し、それを成立させているのである。そして、身振りや言葉や調子の通用しないTwitter(文章上)においては、しばしば「文脈の理解できない〜」という発信者の皮肉や嘲りが込められたツイートがのちに行われるような誤解が散見されている。
要するに、夢における性的表現の多様性と頻出性、或いはそれ自体の曖昧性は現実とリンクしたものであるといえよう。
潜在夢(無意識)は幼児的なものである(6)。基本的に、幼児の欲望はエゴイズムに基づく(7)。幼児期に限らず、子供に対する表現としてしばしば用いられる「純粋」さはつまるところ、善悪の区別の乏しさを意味している。ドラゴンボールにおいて、何度も変身を繰り返し、最終的に最もシンプルかつ残虐になり、地球を何の脈絡もなく木っ端微塵に吹き飛ばした魔人ブウの通称が魔人ブウ(純粋)であったのは本質をついている。そして、であるからこそ、幼児的な潜在夢は倫理に反する恥ずべき欲望として歪曲される。
潜在夢(無意識)に加えて前意識(昼の名残)というものがある。それは、最下層にある無意識の部屋から上階に通じる扉に待ち構える検閲を突破した先にあるもので、これも無意識であることに変わりはない(8)。違いは、検閲の有無、つまり、無意識のみが圧縮等を受けるべき幼児的な倫理に反する願望であるという点である。しかし、前意識が願望でないかと言われればそういう訳でもなく、それは昼の名残という所以にあるように起きている間の興奮や不満を含んだ緩い願望である(9)。そして、最も重要な点は、夢のきっかけはやはり無意識(潜在夢)にあり、これが持つエネルギーが起点となって前意識+歪曲された無意識の願望を充足させる。