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「僕のヒーローアカデミア」42巻を読み終えた。
とりあえず何かを書かねばならないとの思いに駆られた。ヒロアカは、当時最新巻の5巻までをまとめ買いして読み始めた。5巻発売日は2015年8月4日、6巻が11月4日なのでその間ということになる。今から思えば5巻まとめてのお試し買いというのは中学3年生の貧弱な経済状況に照らし合わせると相当リスキーな行動だと思うが、5巻当時に既にアニメ化の話も出るほどに噂になっていたことを鑑みると納得できない行動ではない。THEあとがきの連載期間約10年というのを目にして多少動揺しつつ、ふとコミック派の私が当時毎巻買って読んでいた作品が何であったのか気になったので、当時の週刊少年ジャンプの連載陣を調べてみることにする。
※私は小学1年でDRAGON BALLを親に買い与えられて以来のジャンプっ子だったので、ジャンプのみを調べるので充分なのである。さて、ジャンプの掲載陣の歴史を辿るにはうってつけのサイトhttps://www.jajanken.net/years/2015/(1) を見るに、2015年10月1日発売の44号の掲載順は上からONE PIECE、暗殺教室、ヒロアカ、ソーマ、ハイキューとなっている。なるほど、NARUTOは恐らく前年に連載終了しているが、まだ後ろには銀魂とBLEACHが残っている。終盤のトリコ、移籍前のワールドトリガー、そしてこち亀もまだある。このラインナップは中々感慨深い。また、NARUTO・BLEACH・銀魂という2000年代前半より残っていた超長期連載作品達の終了以降、ジャンプでヒットした作品というと、鬼滅の刃をはじめとしてブラクロ、ネバーランド、チェンソーマン、呪術廻戦、ドクスト、逃げ上手等が挙げられるが、このうちまだ本誌で連載中の作品が逃げ上手のみという事実は、すなわち作品の短期化(というか、通常化と言った方がいい気がする)が進んでいることを示している。また、このことから、上記超長期連載作品がジャンプへの影響力を高めたのと引き換えに、その終了における影響も相当に高かったことが伺える。そしてまた、そんな中でONE PIECEという別次元の怪物を別にして、約10年間連載を続けたヒロアカという作品の底力もよくわかるのである。

ということで、中学3年の時分が当時読んでいた作品が、トリコ、暗殺教室、斉木楠雄、進撃の巨人であり、そしてある時を境にここにヒロアカが加わったということが判明した。
さて、そろそろヒロアカ本編について語っていこうと思うが、その前に私がこの超大作が10年の月日を経て完結したことに対して感傷に耽ること(2)を放置して、筆を取らざるを得な理由を説明しておこう。

ヒロアカという作品はズバリ、「僕が最高のヒーローになるまでの物語 そしてみんなが最高のヒーローになるまでの物語」(3)である。
本作の主人公は絶対的にデクなのであるが、ヒロアカではデクと同様多くのキャラクター達が失敗と困難を乗り越えヒーローになっていく過程が丁寧に描かれている。
もう少し真面目に言えば、本作においては、現代日本社会における様々な問題(SNSによる炎上、マスコミ報道のあり方、人種差別、宗教、いじめ、虐待、孤独、性癖、精神病、正義と悪の転換など)がそれぞれのキャラクターに割り当てられ、これによって作品の世界観をよりリアルにし、作品への没入を加速させ、また、作品のある種の価値を高め、そしてそれぞれのキャラクターの魅力を高めることに成功しているのである。
そうであるからして、本作を語ることはヒロアカという世界と共に我々の社会についても語ることに他ならない。
このことは、42巻を読み終えてヒロアカと共にあった10年という年月の長さを反芻しているのと同じくらいに、私の筆を走らせる理由になっている。私は、ヒロアカを語らずしてヒロアカを終えることはできないのである。今日が私にとっての分水嶺であり、今を持って私にとっての最後の大仕事(4)が始まったと言える。
ということで、その変遷の語り口としてヒロアカにおける一つの分岐点、そして集大成でもある第一次大戦に視点を持っていくのが良いと思われる。ヒロアカでの公式の終章は第1次大戦後からとされているが、27巻第259話「静かな始まり」(5)というイカしたタイトルからヒーロー、ヴィランの再登場、離脱、集大成が始まっていく。
・トガヒミコ、包めば一つ
記念すべき1番手を飾るのはトゥワイスである。合宿編で初登場したこの男は、人も含めたあらゆる物をコピーすることで二つまで増やすことができるという個性を持っている。また、個性の関係によるものと思われる、自分の発言に加えて真逆の発言をしてしまうという二重人格を患っており、元々の天然バカ?な性格も相まってコメディリリーフ的な役割を演じていた。しかし、13巻第115話「アンリーシュド」では、ある時、自身の分身達が殺し合いを始め、最後には自分がオリジナルなのかわからなくなってしまったという悲しい過去が判明する。(6)
その後は、インターン編でトガとの名コンビを確立し、二人の名シーンである「包めば一つでしたっけ」(7)を挟みつつ、24巻第229話では、大怪我を負っても消えない自分の姿から、自分が本物であることに気がつき、ついにトラウマを克服する。目まぐるしい状況の変化の中でも大勢の分身たちによる吹き出しを大量発生させてコンプレスにツッコマれるなど、常にコメディをやり続けたトゥワイスだったが(8)、第一次大戦の序盤で呆気ない最期を迎える。
「あなたと戦いたくないんだ!部倍河原」「そりゃてめェの都合だろ」(9)
「自分を求めてさ 迷って自分よりも大事な仲間に恵まれた これより最高な人生があんのかよ 死ねよホークス 運が悪かったなんててめェが決めるな 俺はここに居られて幸せだったんだ!」(10)

正義も悪も、そして当然ながら幸も不幸も結局は主観的なもので、その者の立場によって変わる。彼はトガや仲間達との関係性を描くことを通して、このことをヒーローと、そして読者に対して今一度問いかけたのである。
しかし、それでも敢えて主張するのは、それが彼の幸せに繋がるかは別にして、トゥワイスにはまだ社会に馴染めた可能性があったと思えるということである。一方で彼の死を引き継ぐキャラクターであるトガヒミコは、若干高校生でありながら、無慈悲にも社会に馴染める可能性なき者としてトゥワイスの後に残される。彼女の持つ好きになった者の血を吸いたいという性欲は、決して社会に受け入れられるものではない。
性欲と社会の関係については、以前映画「正欲」の感想を書いた際に二つのことを述べた。
一つは、映画タイトルにかけて、「正欲」とは、社会に迷惑をかけない性欲を指すというもの。つまり、多様な社会においては性欲の多様性も認められるべきであるが、そこには社会に迷惑をかけないという絶対的な制約が存在するということである。
もう一つは、「社会に迷惑をかける行為」の判断基準とするのは、個人への被害の有無というよりも、社会の構成員が多数であることを考慮した、その行為に対する是非の評価の割合という指標であるというものである。これはつまり、社会において多数派であることがいかに重要であるかということである。
映画「正欲」とヒロアカは性欲と社会の関係という同じ主題を掲げながらも、その描き方は大きく異なっている。
というのも、正欲においては、主人公を含め、「水フェチ」という一見奇妙だが、決して社会に迷惑をかけない性欲に視点を当てて物語を展開していく。そんな中で物語後半に小児性愛を登場させ、それとの対比で「私たちは子供を傷つけていない。」と連呼することにより、性の多様性を謳いながら、同時に社会からの排除も描いてみせるという極めて残酷な手法をとっている。
本物の「非正欲」の前では、彼等の価値観の一端である水フェチなど極々可愛いものでしかない。
よって、上記の文章にはそういう見方もあるのかと思ったという感想が寄せられた。しかし、むしろ、これこそが本質なのである。
一方で、小説が原作の「正欲」と異なりより年齢層の低い少年ジャンプの王道バトル漫画であるであるヒロアカは、あろうことか直接的にこの制約に触れたのである。
「好きに生きて他人を脅かすなら…..その責任は受け入れなきゃいけない」(11)上記のセリフは、第一次大戦中にトガと対峙した麗日が発した言葉である。これに対して「うん そうだね」と返したトガは次に対峙した最終決戦で以下のようなことを述べている。
トガ「勝つか負けるか生きるか死ぬか生存競争なんだよこれはもう!!」麗日「ハッ それ…っ ハァ はお互いっ当たり前だね」トガ「同情じゃないならただのエゴだ…..!!互いにそうなら我々は大勢であるがゆえに!!」(12)

性欲は社会に迷惑をかけない限りで許される。そして、その判断は社会において多数派であることによって決する。この真理に対してトガの出した結論は、トゥワイスの能力によって自分達を多数派にして社会を変えるというものであった。
「構造が違う!!おまえ達が言う祝福も喜びも私は何も感じない!!そっちの尺度で私を可哀想な人間にするな!!」(13)
数少ない理解者であったトゥワイスを失い、自分と同じ恋する人であったはずの麗日との間に絶対的な障壁があることを知ったトガは絶望のままに暴れ出す。これに対して、一度はトガを社会から排除しようとした麗日は、最終的にトガと恋バナをすることを選択する。(14)
少年ジャンプで、少年たちの眼前で社会と性欲のタブーを描き、そして一旦はトガ(異常性癖者)をその身勝手さから突き放しつつも、最終的には寄り添うという向き合い方の変化を描いてみせた堀越耕平は本当に偉大なことをやってのけたのである。
さて、トガの異質さ不気味さはこれまで何度も描かれてきたが、常に社会の多数派から彼女を見ていた私は、最期の彼女のモノローグに、初めてほんの少しの共感を持つことができた。
「その人そのものになりたくて羨ましくて愛しくて血を飲み干してきた」(15)
誰かを深く愛する時、その人の全てを知りたくなり、抱きしめたくなり、ずっと自分のそばにいてほしいと思うことがある。トガという人間はその究極の愛を普通とは別の形で体現していたのである。

さて、次の項目として現在爆豪について書いている途中ではあるが、どうやらヒロアカ42巻を読み終えてからはや2週間ほど経過してしまっている。文章というのは、その時の激情に載せて書くものである。そういう意味ではもはや私の中に激情はない。だとすれば、惰性で無理やり続きを書くことに何の意味があるのか。その苦痛は、誰のためになるのか。そう考えて、一旦ヒロアカ集大成はここで休止することとする。時間は有限であるので、その時その時一番やりたいことに時間をかけるべきなのである。そしていつの日か再びヒロアカに向けて激情が高まった時、この続きがが書かれることになるだろう。
(1)ジャジャン研(週刊少年ジャンプ2015年44号)ジャジャン研BETA週刊少年ジャンプ掲載順研究所(URL)(アクセス日:2025.1.13)
(2)堀越耕平(2022)僕のヒーローアカデミアvol.35集英社no.341
(3)堀越耕平(2022)僕のヒーローアカデミアvol.33集英社no.324
(4)堀越耕平(2024)僕のヒーローアカデミアvol.41集英社no.421
(5)堀越耕平(2020)僕のヒーローアカデミアvol.27集英社no.259
(6)堀越耕平(2017)僕のヒーローアカデミアvol.13集英社no.115
(7)堀越耕平(2018)僕のヒーローアカデミアvol.17集英社no.148
(8)堀越耕平(2019)僕のヒーローアカデミアvol.24集英社no.230
(9)堀越耕平(2020)僕のヒーローアカデミアvol.27集英社no.264
(10)堀越耕平(2020)僕のヒーローアカデミアvol.27集英社no.266
(11)堀越耕平(2021)僕のヒーローアカデミアvol.30集英社no.289
(12)堀越耕平(2023)僕のヒーローアカデミアvol.39集英社no.393
(13)堀越耕平(2023)僕のヒーローアカデミアvol.39集英社no.392
(14)堀越耕平(2023)僕のヒーローアカデミアvol.38集英社no.375
(15)堀越耕平(2023)僕のヒーローアカデミアvol.39集英社no.395