・悩み
穢多・非人について教科書以来、まともに認識した。
この事実、つまり現代社会において穢多・非人に関する歴史がニュース・コンテンツ・人々の間の話題において余りにも避けられ或いは忘れ去られている事実は、本作に描かれる明確に社会に浸透した苛烈な差別と比較した時に、両時代間の余りものギャップについてある種の違和感というものを感じずにはいられない。
しかし、それと同時に、こうも考えることができる。日本社会はこの凄惨な歴史を罪悪感、逃避願望などの様々な感情の積み重ねによって、記憶し保全し回復するよりも忘れ去る道を選んだのだと。私は決してこれを当事者が望んだこととは断定しないし、肯定も否定もしない。
だが、今のところ私にはこの衝撃を他の多くの事柄のように気軽に家族や友人に吹聴し意見を仰ぐつもりにはなれない。それほどの衝撃と違和感を本作から感じたのである。
さて、穢多・非人の社会的側面について語る前に、自らのことを語りたい。というのは、私は丑松に自己投影したのである。私は丑松の多くのことに共感した。それは、彼が夜に眠れないことや、ふと自分の運命について考え、未来を恐れ過去を希望する一方で、女性についても考えずにはいられないことである。
「去年-一昨年-一昨々年-ああ、未だ世の中をそれほど深く思い知らなかった頃は、噴き出したくなるような、気楽なことばかり考えて、この大祭日を祝っていた。手袋は元のまま、色は褪めたが変わらずにある。それから見ると人の精神の内部光景の移り変わることは。これから将来の自分の生涯はどうなる-誰が知ろう。来年の天長節は-いや、来年のことはおいて、明日のことですらも。こう考えた、丑松の心は幾度か明るくなったり暗くなったりした。」(1)
私には決して誰にも明かせない人々への負い目がある。それは明らかに丑松の抱えるそれと比較して大したものではない。しかし、これはあくまでも主観的な問題なのである。悩みというのは、悩んだところで到底解決できるものではない。それは、解除されるまで終わらない拷問のようなものである。だから私は、いつも悩みに悩んだ後、決まってそれが如何に馬鹿馬鹿しいことであるかと自らに言い聞かせるのである。
それによって幾らか気分がマシになることもある。しかし、そういうまやかしは長くは続かないもので、気づけばまた拷問が再開し、終わることのない絶望がやってくるのである。
「これほど深く若い生命を惜しむという気にもならなかったであろう。これほど深く人の世の歓楽を慕いあこがれて、多くの青年が感ずることを二倍にも三倍にもして感ずるような、そんな切なさは知らなかったであろう。」(2)
最近も、私の年齢(学年で言えば、24の歳。これもまた、偶然ではあるが私が丑松に強く惹かれた原因の一つである)を聞いた周りの大人達は皆一様に私の若さを羨み、如何に若いということが素晴らしいかを私に説いた。むろん、そういう場面に幾度も出くわしている私は、その回数によって、若いということの素晴らしさについて若いながらも確信している。それに、過去というものが大抵美しいということについても気づいている。しかしながら、そういう言説は今の私には責苦でしかないのだ。負い目のせいで常に拷問に苦しむ私にとって、「今」は苦痛そのものなのである。また、若いという素晴らしい時代を全うできないことが何より辛く、それは大変大きなチャンスを流しているような感覚で、もっとインテリ的に言えば相対的剥奪感を味わっているのである。そうであるからして、いっそ若さなど手放してやりたいと切に思うのであり、丑松の気持ちが痛いほどわかるのである。
「さあ、丑松はこの校長と一緒に並んで歩くことすら堪え難い。どうかすると階段を降りる拍子に、二人の肩と肩とが触合うこともある。冷たい戦慄は丑松の身体を通して流れ下るのであった。」(3)
丑松は秘密がバレることを恐れるあまり、まともなコミュニケーションを取ることも困難になってしまう。この後、彼は布団から起きられなくなり、そして無我夢中で蓮太郎の古本を売りに走るという奇行に出る。
悩みがいよいよ悪化すると、常にそれが思考を占拠し、仕事が手につかなくなり、家事も遅々として進まなくなる。そして焦るほどに悩みは強度を増すという悪循環に陥る。
だが、その悩みの解決の糸口となる希望があることが重要である。私は丑松に自己投影し、共感はすれども、実のところ私にはまだ希望がまだ残されている。だから私は今こうしてこの文章を書けているのであり、丑松のような奇行には走らずに済んでいるのである。
さて、私の絶望については思う存分書き尽くしたので、ここからは社会的側面について語ろうと思う。
穢多として生きることがどれほどの事態であるかは、本書にさまざまな形で描写されている。それは、「愚かな大衆」や悪役として描かれている校長や文平ではなく、作中で数少ない丑松の理解者である銀之助が、穢多などという下等人種から思想家が生まれたことに疑問を覚えるという文平の主張に同調していることである。(4)
また、「親を捨てた穢多の子は、堕落でなくて、零落である。」(5)という丑松の短い一言は、穢多であることの困難さを強力に表している。穢多という下等の身分を偽って日本社会に入り込み、普通を装うことが如何に罪深いことであるのか。それは、破戒を行った丑松が穢多の分際で教師として人々を教えていたことを、地に頭をつけて謝罪していることが何ら誇張でもないことを何より証明しているのである。
「見給え、彼の容貌を。皮膚といい、骨格といい、別にそんな賎民らしいところがあるとも思われないじゃないか。」(6)
私は、かつて同胞を差別し、軽蔑し、社会から排除していたという恥ずべき歴史を決して忘れることはない。私は彼らのまことの苦しみを心から憂い、また、彼らの魂が安らかであることを心から願う。
日本国憲法第14条「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」
この一文が、如何に悲劇を背負った賜物であるかを認識し、これが人々の常識として根付いている日常のかけがえのなさについて認識したのである。
(1)島崎藤村(1957)「破戒」岩波書店p88
(2)同書p203
(3)同書p249
(4)同書p59
(5)同書p61
(6)同書p242