・認識
何の気なしに読んだが、フッサール現象学に対する竹田氏の情熱がバチバチと伝わってくる良書だった。
フッサールは主観-客観からなる従来の認識論をとっぱらい、認識は、客観には一致せず、対象確信に一致するものと考えた。つまり、我々は赤いその物体が、リンゴに客観的に的中していることは証明できないが、しかし、その代わりに赤いリンゴがあるという確信を作りあげることはできる。(1)その確信は「超越」、つまり可疑性があって客観的ではない。しかし、私がそう確信したという事実は疑いようがない、そう考えたのである。(2)更には、個々人の確信が、共有されて世界確信=客観になる。(3)
これが、自然科学の分野において起きていることであり、その一方で歴史や芸術などの人文学においては、人々の確信が共有されにくい結果、「客観」的指標が成立しにくいと思われがちである。(4)
つまり、現象学とは認識の客観=真理を根拠づけるのではなく、(5)妥当な確信成立の条件と構造の解明を行う学問なのである。(6)
このことを簡潔に、しかし丁寧にまとめ、そしてこのことが多くの現代思想の潮流から勘違いされ、勘違いのままに批判されていることについて論説鋭く批判している。
恐らく原文のままだと相当に厄介な哲学をこうも鮮やかにまとめているのは誠にすごい。そして当然のことながら、このコペルニクス的転回を成し遂げたフッサールにも尊敬の念を感じてやまない。
(1)竹田青嗣(2012)「超解読!はじめてのフッサール『現象学の理念』」講談社p208
(2)同書p144
(3)同書p204
(4)同書p214
(5)同書p158
(6)同書p253