好きなことを仕事にすることについて(ブルーピリオド)


労働

漫画

私が日夜行っているのはコンテンツの称賛或いは批判、それらの関連付、伝承なのであるが、これまでブルーピリオドについては主題としては扱っていないものの既に関連付のコンテンツとして以下の文章に登場させている。

夏に彼女と車で海を見に行く。

※全力で探したがこの記事にしか見つけられなかった

てっきり複数回引用していると思ったら記事が一つしかなかったのは残念なことだが、むしろこのことを逆説的に捉えて、本作はもう何度も引用しているに違いないと錯覚させるだけの哲学性及び思想性を備えているということが言えよう。

如何に、思いつく本作の論点を並べてみた。

1巻   好きと仕事

2巻  空気を読むこと

        ジェンダーについて

3巻  好きと仕事

4巻  受験について

6巻  受験描写

7巻  全ては自分のために

8巻  知識(歴史)について

10巻 物差しの多さ(知識)は視野を広げる

11巻 子供について(空気を読む)

12巻 自由について

13巻 正義について  

         弱者であり続けるということ

15巻 当事者性の問題 

今からこれら一つ一つについて語っていこうという気はないが、最近私が考えていることについてブルーピリオドに関連させながら、いや、むしろブルーピリオドをキッカケに私が考えたことについて述べたい。

それは、今私がこうやって20代の日曜日のラスト数時間を「文章を書く」ということに費やしていることに深く関わる。

ブルーピリオドは、それまで趣味もなく、それどころか「自己」すら発見できていなかった主人公・八虎が絵と出会ったことをきっかけにいわゆる「自己アイデンティティ」を形成していく物語である。また、物語スタート時八虎は高校生であり、結果的に彼は絵と出会ったのと同時に日本最高峰の芸術系大学、「東京藝大」を目指すことを決意して、物語は雪崩のように大学受験へと推移していく。この現代人に普遍的な二つの軸(アイデンティティ形成と大学受験)で構成された第一部受験編は、容易に我々を主人公に投影させ、時にページを捲ることを躊躇させるほどの後悔や恐怖を思い出させ、或いは息つく暇も忘れるほどの興奮を感じさせることに成功している。

だが、本作が本質的なのは、この極めて完成度の高い劇的な大学受験が決してゴールになっておらず、むしろスタート地点でしかないことを明確に描いている点にある。八虎は入学早々に、その子兎ばりの形成ほやほやのアイデンティティを、「受験絵画は作品ではない」(1)に象徴されるように、容赦なく揺さぶられ、或いはそれまで(義務教育)と全く異なる自由で残酷な社会における競争がこれをもって始まったことに気づいて半ばノイローゼのような状況に陥ってしまう。

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「….あれ? 俺って何もなくね…?」(2)

ブルーピリオドはここから(7巻から10巻)一年次の間を通して、八虎が自分はなぜ絵を描きたいのか、そして本当に絵を描くことが好きなのかという極めて本質的な原点について苦悶し、様々な人と触れ合いながら思考を深めていくという描写をひたすら丁寧に描いていく。

やがて八虎が「おれはまだ自分の好きなものすらちゃんとわかっていない」(4)という「何が好きか」の局面に対して答えを見出した時、次なる局面「すごい すごいわ 俺からしたら無関係レベルで遠い話だと思ってたのにこの人たち 作家としてやっていくつもりで制作してんだ」(3)、つまり「好きなことを仕事にする」局面が自然に立ち現れるのである。

思えば本作は初期からこの局面を後に描くことを示唆していた。

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「勉強は苦しいよ でも苦しいほうが人より高く飛べるだろ …だから楽しいなんて怠慢だ」(5)

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「「好きなことは趣味でいい」これは大人の発想だと思いますよ 誰に教わったのか知りませんが頑張れない子は好きなことがない子でしたよ 好きなことに人生の一番大きなウェイトを置くのって普通のことじゃないでしょうか?」(6)

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「好きなことをする努力家はね 最強なんですよ!」(7)

本作はこの困難な局面について描くために、その前段階にある「何が好きか」という局面を丁寧に描いたのかもしれない。私にはそう思えてならない。それは、「好きなことを仕事にする」ことと作家という仕事に強い関連性があるからである。

本作について、第一部である受験編が至高で、それ以降も面白くはあるがそれまでには劣るという言説をよく目にする。何を隠そう、私自身もかつてそのように考えていた。その理由には、今まで述べてきたような第一部「大学受験」「自己アイデンティティ形成」→第二部「自己アイデンティティ形成続:何が好きか」→「好きを仕事にする」という局面の変化が影響していると思われる。

というのも、まず「大学受験」という局面は、現代日本社会において極めて独特に濃密な普遍性を持っていると言える。言い方を変えれば広く深く、極めてマスな人々に大きなトラウマや挫折感、或いは成功体験を植え付けている、当事者性・共感性の高い局面である。

一方で、その後7〜10巻で描かれる「何が好きか」については、こちらも当然人類に普遍的な局面ではあるが、それに続く「好きなことを仕事にする」に関連して、つまり、多くの人々にとって「好き」はあくまで趣味にとどまり仕事には結びつかないが故に、八虎ほどに深刻に「好き」に向き合う必要もなく、よって「大学受験」ほどには濃密性がなく共感もできないがために、結果的につまらないように感じるのだと考えられる。

事実、私自身もこの頃は就活を控えとある試験勉強の真っ最中であり、失敗体験としての大学受験についてありありと思い出しながら、八虎らの「同時に存在するんだよ 絶対受かりたいって気持ちとさ全員殺したいって気持ちとさ合格なんてどうでもいいからこの絵を描かせてくださいって気持ちが」(8)に奮起しながら大学受験編を読んでいた。そしてその目指した道はおよそ八虎が言うような「好き」とは別個の所にあり、更に言えばこの時点で私は趣味としての「好き」(東浩紀、哲学、小説、文章を書くこと)にすら出会えておらず、また、八虎のようにそのことの自覚すらできていない状態であったわけで、第二部の八虎の心情からはかけ離れていたと言える。

実際として「好きなことを仕事にする」ことについては、多くの職種にはあまり現実性のない局面である。しかしその一方で多くの画家や藝大生をはじめとするクリエイターにとっては、この局面はむしろ必然とも言え、そして今こうやって20代の日曜のラスト数時間という貴重な時間を「文章を書く」ということに費やしている私にとってもリアルで、濃密性のある局面である。

私は私の好きを仕事にするということが何を意味するのか、その大変さ、過酷さ、そして残酷さをを自覚していて、まだ正面からこのことと向き合うことができていない。しかし、だからこそ1巻2話で「好きなことをする努力家はね 最強なんですよ!」(7)と堂々放たれた言葉に戦慄したあの当時から数年が経ち、八虎と同様に本当に好きなこと(東浩紀や哲学、小説、文章を書くこと)に出会った今、彼が画家への道を静かに自然に歩み始めた描写は、強く心を打つ。

さて、「好きを仕事にする」ことについては、八虎と、そして私も今後様々に思考していくであろうから、今後にとっておくとして、ここからは「何が好きか」という局面について触れたい。

「絵ってさ言葉だと伝わらないものが伝わるんだよ 世の中には面白いモノや考えがたくさんあるって気づけるんだよ 「見る」以上に「知れて」「描く」以上に「わかる」んだよ(8)

本作は、人に気を遣い人に合わせることでしかコミュニケーションを取ることのできなかった八虎が「絵」に出会ったことをキッカケに初めて人と本当の会話をすることができ、そこから作家を目指すという物語である。よってその性質上、「言語化」は困難なものとして語られることが多く、その代替としての「絵」が強調される場面も多い。

「言葉にするのってすっごい大事で でも言葉にできないから「ない」ってするのも違くて…だからーその時の感覚を理解されなくてもうまくっ 言葉にできなくても君が感じたことは否定しないでほしいなっていう…」 (9)

しかしその一方で、「言語化」と「絵」は何らかの思考の表現方法でしかないという点で共通しており、「何が好きか」について探求する段階の八虎にはその根本にある「何(思考)を伝えたいか」という命題が幾度となく投げかけられる。

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 「芸術は正しいかより自分がどう感じたかのが大事やろ」(10)

「君は渋谷で何を表現したいの?」(11)

当然、「絵」という表現方法が極めて重要なことは間違いないが、それに先立って、或いは根本的に「何(思考)を伝えたいか」が重要であるという指摘は、本作で困難なものとして言及されている「言語化」を敢えて追求する私にとっても全くリアリティのある命題である。

「美術は文字が読めなくても楽しめる芸術ですがそのモチーフや描き方には当時の人々の共通認識が反映されているものです つまり様々な知識やルーツを知ることでより作品を読み込むことができる」(12)

絵、映画、哲学、小説、漫画全ての表現は先立つ何らかの表現の影響下にあり、つまり、歴史の中にある。そしてその歴史、文脈を知ることでより表現への解像度は高まり、よって我々は知ることとわかることを絶え間なく欲求するようになる。東浩紀と出会って言語化に勤しむようになった私はこのことを如実に実感している。例えば、私はかつてONE PIECE以外の漫画には価値がないなどという残念な価値観を有していたが、今ではヒロアカがトガヒミコを通して社会に訴えかけたことを理解しているし、或いは村上春樹においても初めて読んだノルウェイの森では100字ほどの感想しか思い浮かばなかったのが、海辺のカフカには人生のバイブルと言っても過言でないほどの感動を抱いている。また、東浩紀との出会いでも述べたように知識を得ることで多様な視線、ものさし(13)をもって政治や科学を見られるようになり、価値観も変容した。「絵」に対する向き合い方を説くブルーピリオドは同時に、何かを知ることの素晴らしさ、楽しさを教えてくれている。

(1)7巻、27話

(2)7巻、29話

(3)14巻、57話

(4)2巻、6話

(5)1巻、2話

(6)1巻、2話

(7)1巻、2話

(8)1巻、5話

(9)10巻、42話

(10)2巻、6話

(11)8巻、31話

(12)12巻、52話

(13) 10巻、41話


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