首(映画)(監督:北野武)の感想


映画

⚫︎視聴直後

生者と死者を一覧にしてみた。なんと22組中13組が死に、割合は驚異の59%。登場人物の半数以上が2時間強の内に死ぬというとんでもない死に様 恐ろしい映画であることがわかる。

秀吉、弟、黒田、家康、半蔵、千利休、六平直政、秀吉の部下二人組
信長、蘭丸、弥助、千利休の爺、寺島進 キム兄、キム兄の部下二人、茂助、光秀 村重、光秀の腹心、光源坊、荒川良々

作中人物の中で中で言及したいのは以下の3人である。

1⃣茂助!!
アホさ加減たっぷりの魅力的な演技が素晴らしい。茂助ら足軽?達が野をかけ明智勢の元へと向かうシーンは、 クローズアップされる茂助がふらふらの足取りでおにぎりを頬張るものだから軍勢全体がアホの集団に見えてしまう。 しかしそれは、彼の演技が軍勢全体の見方を決定づけるだけの影響力を持つものであるという見方もできる。
「怪物」での下劣な父親と同一人物とは思えない、素晴らしい演技。

2⃣キム兄。
彼の役がまた魅力的だ。野心家で、自身の汚れた経歴など意に介さない豪快さを持ちながら、秀吉に「多分、お前死ぬけどな」と 言われた際には人並みに落ち込んだりと人間的である。愚かな茂助に終始呆れている一方で、そんな彼を放っては置けない面倒見の良さを垣間見せる。 明智と村重の密会への潜入、信長に張り付くなど仕事ができ、かつ危ない橋は渡ない勘の良さと冷静さを併せ持つ。

そんな彼が塔の上から燃え盛る本能寺を見て笑みを浮かべるシーンは実に印象的だ。 作中冒頭から暴れ続けた信長(弥助噛みプレイ、光秀取って投げ、家康毒殺未遂)が、大炎上シーンに突入したことで遂に最期を迎えたことに対する 驚きと寂しさの引き金のシーンであるということに加えて、先述したように無茶な命令を必死にこなそうとする兄貴肌の男というような、 作中数少ない好印象のキャラクターが、やはりドス黒い野心を垣間見せたというのが強い印象の要因だろう。

3⃣光源坊。
彼の登場シーンは短いものの強烈なインパクトがあり、こいつは何だったんだろうと混乱しているうちに 血まみれに惨殺されてしまうので、混乱に拍車がかかる。光源坊の居た本堂の近くで、同じく惨殺されて吊るされた人々を見上げる 寺島進の何とも言えない表情もまた印象的であった(結局彼らが何者だったのか、そして光源坊がどうして信長の手紙などという代物を 手に入れることができたのか全く不明である)。

「働き次第で跡目を選んだるに。死ぬ気で働け」「はい!!喜んで!!」
「人間産まれた時からすぅーべて遊びだわ! 辛気臭ぇ!!」
「皆殺しに決まっとるがやぁ!!」
「あの人の元におったら首がいくつあっても足らしまへんけどなあ」
「この手紙とその話は使えますよ。私にお任せください。必ずや上手くことを運んで見せます」「なんでもいいから上手くやれ」
「私は天下など要りませんよ」
「困りましたなあ。前からおかしくなってきているとは思っていましたがそこまでとは。もうついて行けませんね」
「その後ろ」「アッアタシ!?」「とんだ鬼婆だな」
「あいつ食ったふりしやがった」
「俺が天下取ったらなあ、あいつらみんな消えてもらう」
「村重ぇ頼むよ愛してるんだ」
「この黄色い糞やろうっ!!」
「みんなアホか」
「ジジイと思って油断した」
「俺はなあ明智が死んだことさえわかりゃあな、首なんてどうだって良いんだよっ」

⚫︎2024年6月の感想

最近、私が敬愛するお笑いコンビの一つ、ニューヨークのYouTubeチャンネルにて、コント 芸能人飲み会(1) を視聴した。このコントは売れない芸人がアイドルや俳優たち相手に大回しを繰り広げているというギャップ等の面白さはあれど、 それだけではない。屋敷扮するM1決勝進出芸人の悲哀や嫉妬、手のひら返しが詰め込まれているという、人生ドラマの様相を呈している。 いわば、映画に近いコントである。

それが、首を想起させる遠因になったのだろう。というのも、本コントの最終版に、サムネにもなっている、嶋佐扮する売れない芸人が屋敷に 舌を突き出すシーンがある。これは、あっかんべえという意味ではなく、屋敷のファンであるというアイドルを呼び出した嶋佐が 自分は用事があるという嘘をつき、屋敷とアイドルが二人きりになれる展開を作った際の「(アイドル)を騙してうまくやりましたよ」という 意思表示である。この舌を見た瞬間、私は即座に「首」のあのシーンを想起した。そう、六平直政扮する生臭坊主が大名清水宗治の切腹の説得に 成功し(これには秀吉が城主である清水の命と引き換えに他の兵を除名することを申し出たという背景がある)、秀吉の部下である キム兄に向かって「(清水)を騙くらかしてやったよ」と舌を突き出すシーンと状況が瓜二つなのである。

この、「舌を突き出す」というのは、現実ではそうそう見ることのできない動作であろう。つまり、映画の醍醐味でもある シリアスさとかリアル感を意識すればするほど、無縁な演出になる。その意味で、この演出はコント的な演出だ。 本映画は、コメディ映画の要素を持つ。決してコメディだけではない、本能寺の変の新解釈やBL時代劇等、語ることの多い作品ではある。 しかし、コメディ映画を、「コメディ」が本職の、それもユーモア、笑いのセンスが第一級のお笑い芸人が映画監督を つとめた唯一無二の作品というのは、本作の極めて大きな特徴であることは間違いない。それが、お笑い好きの私が映画「首」に 深く惹かれた要因であり、また一方で、「拍子抜けした」、「期待外れだった」という感想を抱かせる要因の一つでもあるに違いない。

とにかく、舌ベロリンチョ、この動作は至高である、それが一番言いたかったことなのだ。

(1)ニューヨーク Official Channel(2024)「【公式】ニューヨーク コント「芸能人飲み会」/単独ライブ『虫の息』より」(URL)


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