マッチング書棚


地元に帰省した1月2日、久々に家族連れで大賑わいの蔦屋書店を訪れた。本以外のエリア(お菓子屋の期間限定出店、アニメグッズ、某有名ブランド等)が順当に拡大しているのを確認しつつ哲学書棚群へと向かう。

書棚群は、1棚目上段左端に今年発売の「日本の近代思想を読みなおす2 日本」を横がけで始まっていた。下のメイン段には千葉雅也「センスの哲学」文庫版「動きすぎてはいけない」、宇野常寛「砂漠と異人たち」に新著「庭の話」、東浩紀「観光客の哲学」「訂正可能性の哲学」(そして、「25年後の東浩紀」も!)と現代日本中堅哲学者が並び立ち、

下って多めの内田樹に永井均、柄谷行人らの外せない大物達によって締められている。言い忘れていたが、上段右端には若手綿野恵太「「逆張り」の研究」、荒木優太「在野研究ビギナーズ――勝手にはじめる研究生活」といった具合である。

この限られた哲学書棚群スペースの始まりの一画(1棚目)は、これをもって私の主な知的フィールド(主にゲンロン・シラス関係)と完全にマッチし、興奮を否が応でも高め、私はこの哲学スペースにとどまることを余儀なくされた。さて、2棚目は政治学・アーレント・ロールズから始まる。アマルティア・センを挟んで、マイケル・サンデル、「WEIRD(ウィアード)「現代人」の奇妙な心理」、「21世紀の戦争と平和: 徴兵制はなぜ再び必要とされているのか」と国を問わない話題の本がずらりと並ぶ様は圧巻である。

言語学から始まる3棚目は、メイン三段目に「反出生主義入門: 「生まれてこないほうが良かったとはどういうことか」」と相対するように近内悠太著「世界は贈与でできている」「利他・ケア・傷の倫理学」を横がけに並べている。近内氏著作の後者の帯を飾るのは何を隠そう、東浩紀その人である。そしてウィトゲンシュタインを挟みつつ、「コウモリであるとはどのようなことか」を尻目に最下段には「自殺の思想史」と辞書のような厚さの「「死」とは何かイェール大学で23年連続の人気講義」が鎮座している。

やがてラインナップは歴史の哲学者たちの時代へと突入していく。レヴィナス、フーコー、デリダ、バタイユ、ラカン、フロイト、ニーチェ、ヘーゲル、カント、ルソー、ヒューム、プラトン…彼らにまつわる本については、自著は当然のことながら、解説、批判、発展、つまり多くの視点と多くの著者によって構成されているが故に、今を持ってそのラインナップに評価を下せるだけの材料を私は持ち合わせていない。しかしながら拙い知識で反応してみると、ヒュームについては7冊が並び、内1冊は既読の中公クラシックス「人性論」である。ヒュームの名を冠した書が並ぶ中、一際目立つのは「信頼と裏切りの哲学」である。レヴィナス書の横がけ「傷の哲学、レヴィナス」もありつつ、ヒューム同様7冊で構成され、内1冊、私が購入したのは「ゼロから始めるジャック・ラカン」である。他に目を引くのはラカン後継の著「現実界に向かって: ジャック=アラン・ミレール入門」といったあたりだろうか。

その一方で、ちくま学芸文庫〜コレクションシリーズを含め17冊ほどで構成されるフーコーはイチオシされていると言って良いのかもしれない。むろん、本人の実力・人気の可能性もある。(デリダ:11冊)

ルソーはこれも既読の「人間不平等起源論」が、私の読んだ岩波文庫版ではなく講談社学術文庫で横がけされていた。プラトン「饗宴」についても、コンパクトな岩波文庫ではなく「饗宴: 訳と詳解」 と評された大型本が選出されていた。

私は、生まれてこの方初めて本棚の魅力を満足に味わったように思う。

それは、私がいわゆる思想書というものに興味を持ち始めて数年が経ち、ある程度の知識を身につけたからかもしれない。また別の言い方をすれば「シラス」を見漁ったお陰なのかもしれない。

しかし、何より私が気にかかるのは、この書棚群が偶然にして私の興味、趣向と悉くマッチした稀有な書棚であったのか、或いは単に私及び本書棚軍が基本の基を抑えた、悪く言えばミーハーでしかないのか。

恐らくそう遠くない未来に、より知識を身につけた私によって、この大いなる謎に終止符が打たれることだろう。

ということで、年始から魅力的な体験をさせてくれたこの書棚群にふさわしい言葉を送って閉めようと思う。

「この書棚群は、それぞれの歴史、風格、彩を兼ね備えた素材たちによって構成されたバランス性を兼ね備えた荘厳の食物である。さあ、味わい尽くそうや!!これぞ天下のおせち棚!!」

どうぞ、今年もよろしくお願いします

その他、目を引いた本

・人類史:「「未来」を発明したサル: 記憶と予測の人類史」「万物の黎明

・地方創生?:「集まる場所が必要だ

・コーナー名不明:「陰謀論入門: 誰が、なぜ信じるのか?

・社会学:「ヤンキーと地元

※ちなみにラカン書ともう一冊購入したのは村上春樹「1973年のピンボール


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